3月1日(火)高校の第59回卒業式が行われました。

3月1日(火)長崎南山高校第59回卒業式が行われ、297名が学舎を巣立ちました。

 

長崎南山高校第59回卒業証書授与式 校長式辞

「南山を土台に更なる飛躍を」

平成23年3月1日

学校長 松本 勝男

 

 本日ここに、宗英治育友会会長様、吉原昭信同窓会会長様をはじめ、多数のご来賓のご臨席を賜り、第59回卒業証書授与式を挙行できますことは大きな喜びであり、心から感謝申し上げます。

 297名の卒業生の皆さん、そして保護者の皆様、ご卒業おめでとうございます。中学と高校があるこの南山で、3年ないし6年の間に積み重ねられてきたたくさんの思い出を胸に本日の卒業式を迎えた喜びは格別のことと思います。

 思えば皆さんは、私が校長に就任して初めて、高校への入学許可を言い渡した学年です。あれからあっという間に3年が過ぎてしまったと感じているのは私だけでしょうか。これから歳をとっていくにつれて、時間の流れの速さを痛感するようになろうかと思います。だからこそ、1日1日を大切に過ごしていきたいものです。

 大学に進学するにしても就職するにしても、皆さんに与えられる1日の時間は同じように24時間です。皆平等に与えられている24時間という限られた時間を毎日どのように活用できるかが、私たち一人一人に問いかけられているのではないでしょうか。

 皆さんは、宗教の授業の中で、マタイ福音書の「タラントンのたとえ話」を学んだことと思います。3人の僕たちが主人からそれぞれ能力に応じて、5タラントン、2タラントン、1タラントンという財産を預かり、これを元手に主人の留守中に商売をするように命じられたという、あのお話です。1タラントンでも給料20年分に相当するたいへんな財産です。ですから、3人の中で一番能力が低いと思われるあの僕でも、1タラントン預けられるということは、相当の力があり、主人の期待も大きかったのだと考えることができます。

 たとえ話の結末は、5タラントン、2タラントン預かった僕たちが、それぞれ別に5タラントン、2タラントン儲けて主人に褒められ、1タラントン預かった僕は、財産を土の中に隠して何もしなかったために、主人に厳しく罰せられるというものでした。3人の僕の間にこのような差がついてしまったのは、それぞれの能力の問題だけで片付けられるものではないということを、もう皆さんはおわかりのことと思います。

 このたとえ話を語られたイエス・キリストは、預けられたタラントンがどのように活用されているかを、私たちに問いかけておられます。与えられている能力が十二分に発揮されているかということです。「タラントン」が「能力、才能」という意味を示す英語の “talent”の語源になっていることも、このたとえ話について学んだ際にきっと教わっていることと思います。1タラントン預かったあの僕が厳しく罰せられたのは、他の2人よりも能力が劣っていたからではなく、何の努力もせず自分に与えられている能力を腐らせていたからだということを忘れないようにしたいものです。

 聖書の時代から2,000年以上経つ今の時代に生きる私たちにも同じように、自分自身に与えられている能力が十二分に発揮されているかという問いかけがなされています。果たして、今日南山を卒業する皆さんはこの問いかけにどう答えるでしょうか。南山での3年間、勉学やスポーツをはじめとする様々な活動のために自分自身の持てる能力がどれだけ発揮されたのでしょうか。

 どのような答えが出てくるにしても、自惚れたり落ち込んだりするのはやめましょう。人生はこれからも続くからです。少なくとも今日、このように卒業の日を迎えることのできた皆さんは、何かをつかみ取っているはずです。南山で学んできたことはこれからの皆さんの生活に必ずや何らかの形で役に立つはずです。皆さん一人一人が南山で学んだことを土台に更なる飛躍を遂げられることを心から願っています。

 保護者の皆様におかれましては、今日のご子息の晴れ姿に大きな喜びをかみしめておられることとお察しいたします。私自身もそうでしたが、多感な中学生高校生の時期は何かと親子で衝突してしまうことが、少なからずあったのではないでしょうか。しかし、「雨降って地固まる」と言われるように、様々な出来事を通して何物にも代えがたい親子の強い絆が築き上げられてきたものと信じております。

 おそらく、ご子息の多くが4月からは親元を離れて生活することと思います。私自身もそうでしたが、たとえ男の子とはいえども、初めて親元を離れる時は不安を感じるものです。それは、親の側にしても同じことでしょう。しかし、これまでの18年間築き上げられてきた親子の絆は、離れ離れに暮らすことによって却って強いものになっていくこともまた、否定することのできない事実です。

親の愛情をたっぷり受けて育った子どもは、それを土台に大きく羽ばたいていくことができるのだと言われます。今日卒業する297人の生徒たちは、ご家庭においてはもちろんのこと、この南山においてもたくさんの仲間や先生方と出会い、愛情をたっぷり受けて育ってきた生徒たちではないでしょうか。喜びと寂しさが複雑に交錯する卒業式ですが、生徒たちの門出を心から喜び、これからも彼らの人生が幸せなものであるよう祈り求めてまいりましょう。

 卒業生の皆さん、人生はこれからが本番です。健康に気をつけて一日一日を大切に、自分の夢の実現に向けて頑張ってください。南山も「伸びる南山、伸ばす南山」を合言葉に、皆さんが誇れる学校になるよう成長を続けていくことをお約束します。

最後になりましたが、本日お集まりの皆様の上に神様からの祝福が豊かにありますように。皆様のご多幸を心からお祈りし、学校長の式辞といたします。

 

○卒業生代表の言葉

桜の木々が今年もまた新たな花を咲かせようとし、まるで私たちの旅立ちを後押しするかのように春のそよ風が吹いています。

 長いようで短かったようにも思われるこの南山での三年あるいは六年間の生活も、いよいよ今日が最後の日となってしまいました。私たちの門出を祝うためにこのような盛大な卒業式を行っていただき、心から感謝申し上げます。

 思い返してみれば、私たちは南山で生活していく中で様々な経験をし、自分の夢を叶えるべく、日々精進してまいりました。

 三年前、まだ中学生気分の残る私たちの入学式は生憎の雨の中でしたが、そこから私たち一人一人は期待と不安を抱きながら高校生活が始まりました。そして、今日まで私たちは勉学だけでなく、部活動、生徒会活動などいろいろな活動を行ってまいりました。

 日々の勉強の成果が試される定期考査・模擬試験。朝から夜までひたすら勉強し、体の芯から鍛え上げられた雲仙合宿。長崎とは桁違いの雪の多さと大地の広大さに度肝を抜かれた修学旅行。各々のクラブが毎日のきつい練習をこなし、優勝目指して最後までチーム一丸となって戦い抜いた高総体。このように私たちは数多くの経験を通して、心身共に成長することができました。その中でも、特に私たちを大きく成長させてくれたのは体育祭です。二ヶ月以上前から準備をし、私たち三年生が下級生をリードして作り上げた体育祭は、私たちにとって忘れられないものとなりました。そして何よりも、三年生が一体となって踊ったよさこいは間違いなく皆さんに感動を与えられたと信じています。体育祭は、まさしく私たち三年生の努力の結晶と言っても過言ではないでしょう。これからは、南山だからこそ得ることができたこれらの経験を活かせるようにしていかなければなりません。

 確かに私たちは三年前と比べると一回りも二回りも成長しましたが、時には高校生らしからぬ行動をしてしまったこともありました。これから学生として、あるいは社会人として、私たちは自分を律することができる大人であることが求められます。今、社会は景気停滞と雇用不安、政治の混迷と将来への不安、そして閉塞感が漂う非常に厳しい状況にあります。私たちはこれから、この困難な社会の中で生きていかなければなりません。

 これらの問題を私たちが解決するのは容易なことではありませんが、決して他人任せにしてよいということではありません。これからは自分たちが社会を背負っていく立場になることを自覚し、まずは謙虚に自己研鑽に励むべきであると思います。しかし、それだけでは不充分です。何故ならば、学校であれ職場であれ、社会は人と人との結びつきであるからです。無縁社会が叫ばれる今日、私たちにはその結びつき、すなわち絆を取り戻す責任があります。私たちは学校生活を通して学年の絆を築くべく努力してきました。これからは、社会の中で率先してこうした絆を広げていくことができるよう、日々邁進してまいります。

 在校生の皆さん、皆さんに一つだけ伝えたいことがあります。

 『学ぶことのできない資質、習得することができず、もともと持っていなければならない資質がある。他から得ることができず、どうしても自ら身につけていなければならない資質がある。それは、才能ではなく真摯さである』という言葉です。これは、現在流行っている『もしドラ』こと、『もしも野球部の女子マネージャーがドラッカーのマネジメントを読んだら』という本の中で取り上げられているドラッカーのことばです。「真摯」とは真面目でひたむきなさま、真剣であることを意味します。私たちは、三年間着実に成長することができましたが、学校生活の中で若干それが欠けているところがありました。例えば、全校集会の時につい周りを気にせずにしゃべることに夢中になっていたり、勉学面でもひたむきさが足りず、自分を甘やかしてしまい、結果として自分を苦しめてしまうこともありました。他にも、対人関係において軽率な言動をしてしまい、先生に注意を受けたこともありました。それらの事は、高校生活において最も反省すべき点であると考えています。そして、それらの過ちから私たちは真摯とは何かを再認識しました。

 だからこそ、在校生の皆さんには更なる成長を遂げてもらうために、この「真摯」という言葉を常に忘れずに生活していってもらいたいと思います。勉学、部活動の両面で自分たちが誇れる南山になるように、これからの学校生活に真面目に、かつ、ひたむきに打ち込んでいってください。そうすれば、自分自身の中にも大きな成長が見えてくるはずです。

 最後になりましたが、今まで私たちに熱心に指導をしてくださった校長先生をはじめ諸先生方、そして、十八年間私たちを大切に育ててくれた両親に感謝しますと共に、長崎南山学園の更なる発展を祈念して、卒業生のことばと致します。

 

 平成23年3月1日

 

         卒業生代表 井手 裕也

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