3月7日(土)第63回長崎南山中学校卒業式が5階講堂で行われました。

3月7日(土)第63回長崎南山中学校卒業式が5階講堂で行われました。

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平成26年度第63回長崎南山中学校卒業証書授与式 式辞

「信徒発見150周年、被爆・終戦70周年の節目に」

 

 降り注ぐ日差しの暖かさに春の到来を感じさせる弥生三月。今年もまた見晴らしの良い五階講堂で第六三回長崎南山中学校卒業証書授与式を挙行できる恵みを心から神様に感謝し、共に卒業生の門出をお祝いししたいと思います。

 四二名の卒業生の皆さん、そして保護者の皆様、ご卒業おめでとうございます。卒業生の皆さんはきっと、長いようであっという間であった三年間の様々な思い出をかみしめながら、万感の思いで式に臨んでいることでしょう。また、保護者の皆様におかれましては、この三年間で身も心も大きく成長したご子息の姿を感慨無量の思いで見守っておられることと存じます。

 折に触れてお話してきたように、今年は信徒発見一五〇周年、被爆・終戦七〇周年と、長崎にとっては特別な年です。江戸幕府の政策により二〇〇年余り司祭が不在の状況で、迫害にも負けずに地道に信仰を守り抜いた浦上の信徒が、大浦の教会でプチジャン神父に出会ったのは、一八六五年三月一七日のことでした。これが信徒発見の出来事です。一方、第二次世界大戦末期の一九四五年八月。六日の朝には広島に、そして九日のお昼前にはこの長崎に原子爆弾が投下されました。広島では約一二万人、長崎では七万人余りが犠牲になりました。この二つの原爆投下で日本の敗戦が決定的なものになったということは、皆さんもご存知の通りです。

 これらの歴史的出来事のどちらにおいても多くの犠牲が払われています。信仰のために迫害を受け、命を落とした人が二〇万?三〇万人いると言われています。原爆も一瞬にして多くの命を奪ったばかりでなく、生き残った人たちに対しても、放射能による後遺症というたいへんな苦しみをもたらしました。原爆投下から五年の間に広島では約二〇万人、長崎では約一四万人が命を落としました。そして七〇年経つ今もなお、この後遺症に苦しんでいる人がいるという事実を厳粛に受け止めなければなりません。

 とりわけ長崎の場合は、カトリック信者が多い浦上地区に原爆が投下されています。原爆の犠牲者の多くがカトリック信者であったということです。長崎のカトリック信者は、秀吉の時代から江戸時代を経て明治時代の初めにかけて迫害に苦しんだ上に、原爆という災難まで背負うことになったわけです。

このような流れを受けて「原爆は神様からの天罰ではないのか」という考え方が出てきたのも事実です。しかし、永井隆博士はきっぱりとそれを否定しています。「原爆投下は神様の摂理であり、原爆で亡くなった人たちは日本に平和をもたらすための尊い犠牲になったのだ」ということ、そして「生き残った人たちは、この惨状を神様から与えられた試練として感謝して受け止めなければならない」と教えるわけです。

 この永井博士の考え方には賛否両論がありますが、ここではこの問題に深入りすることは控えます。ただ、皆さんに分かってほしいことは、今の私たちが享受している平和はたくさんの人たちの犠牲の上に成り立っているということです。とりわけ、長崎の平和はカトリック信者の犠牲によるところが大きいということを忘れないでください。この視点を踏まえて、この長崎で、カトリックの学校の一員として、信徒発見一五〇周年、被爆・終戦七〇周年を記念していきたいものです。

 まさに、これからの日本を背負っていく私たちには、先達が苦労して築き上げてきた平和を土台に、自分たちの幸せな生活を築き上げていくためにはどうしたらいいかが問われているのだと思います。この問いかけに答えていく上で、南山が二年前に立ち上げた「リーダーシップ教育」は大きな意味をもつのではないでしょうか。

ご承知の通り、平成二四年度、皆さんが中学校に入学した年から読書科の授業がスタートしています。ですから、皆さんが三年間読書科で学んだ初の卒業生ということになります。たくさんの本を読まされ、たくさんの作文を書かされ、時にはプレゼンテーションまでも要求され、さぞかしたいへんだったと思います。しかし、初めの一年間トレーニングを積んだだけでも、以前よりも読んだり書いたり人前で話をしたりするのが楽になった自分に気づいているはずです。また、読書科の授業では、ただ本を読むだけではなく、調べ学習のノウハウもいろいろ教わったと思います。これは、これから高校大学と勉強を続けていくための大切な基礎です。私も時間のある時には読書科の授業に顔を出すようにしましたが、もし私が中学校時代にこのような勉強ができていたらもっと勉強が楽しくなっていたのにと、皆さんのことをたいへんうらやましく思います。

ここで話題に挙げたキリスト教の迫害の問題にしても原爆の問題にしても、読書科で学んだ方法論を駆使していくならば、きっといろいろな発見があると思います。その発見こそが、これからの自分自身、自分が暮らす社会、ひいては自分が暮らす地球が抱えている課題を解決していくためのヒントになっていくはずです。

南山が目指す「リーダーシップ教育」というものは、単に進学や就職に必要な知識を習得させる教育ではなく、今社会に求められている力を養成する人間教育です。皆さんが三年間学んできた読書科も「リーダーシップ教育」の一環であり、他では学ぶことのできないかけがえのない宝であることを忘れないでください。

 高校からは義務教育ではなくなります。勉強したい人が集まってくるという前提で授業が進められていきますから、授業の内容は高度になり、進度も格段に速くなります。一回の授業でマスターするべき内容は中学とは比べものにならないくらい多く、宿題はもちろんのこと、予習・復習も欠かせません。定期考査や模擬試験も大学入試を見据えた難しいものになっていきます。しかしその一方で、クラブ活動や生徒会活動、体育祭、文化祭、修学旅行などの学校行事もより充実したものとなり、中学校時代以上にたくさんの思い出を作ることができます。ですから、「リーダーシップ教育」の意義を忘れずに何事にも前向きに取り組んでいく姿勢を忘れない限り、皆さんはきっとどんな困難も乗り越えていくことができるのではないでしょうか。

 大切なことですから繰り返しますが、進学や就職のための知識を蓄えるだけが勉強なのではありません。自分自身もまわりも皆が幸せになるためにどうすればよいかという問題意識こそが、私たちを勉強に駆り立てる原動力なのだということを忘れないでください。

最後になりましたが、これまでの三年間、大切なご子息を長崎南山中学校に預けていただいた保護者の皆様に心から感謝致します。私ども教職員も、この三年間ご子息と共に中学校生活を過ごしてきたことに、大きな喜びと誇りを感じております。この思いを忘れることなく、これからも南山が在校生にとっても卒業生にとってもますます誇れる学校となるよう、一層の努力を重ねてまいります。

今日の晴れの卒業式にあたり、ここにお集まりの皆様一人ひとりの上に神様からの祝福が豊かにありますように。皆様のご多幸を心からお祈りし、学校長の式辞と致します。

 

平成27年3月7日

           長崎南山中学校

学校長  松本 勝男

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